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![]() 夜明けというのは面白い。 夜が終わり朝が始まる瞬間がいつなのか目を凝らして暗闇を見つめていてもここだ、とはっきり言うことができない。いつも気がついて朝になる。 例えば鳥たちが一斉に鳴き始めると木々の葉っぱも一斉に背伸びし、世界が一斉に目覚めるように思われる。 少なくとも時計に区切られた時間がやって来て朝になるのではない。 そう思う。 今朝も鳥たちが一斉に鳴き始めた。 耳を澄ませると鳴いているのはシジュウカラ、ウグイス、カッコウ、イカルたちであったが、その中で一際大きく鮮明に鳴いているのはシジュウカラだった。 ツーピー、ツツピー!!ツツピー、ツーピー!!とうるさいくらいであった。 随分近くで鳴いているに違いなかった。 それもしつこいくらいに長い間鳴いている。 普通、小鳥は移動するのであって、すぐにいなくなるものである。 それがこいつときたら周囲が明るくなってきてもまだ鳴いている。 気になるので窓に近づいてそいつを捜してみるとすぐに見つかった。 窓から5メートルの距離、コナラの枝に止まって鳴いている。 目が合っても逃げようとしない。 それどころか、私を見つめ話しかけるように、いや、訴えるように鳴くのである。 私がツーピー、ツツピーと口まねしてなくと、やつも呼応する。 何を言いたいのだろうと思うが、分からない。 少し枝を移動したかと思うと、またもとの枝に戻ってまた鳴くのである。 折角だから写真を撮ってやろうとカメラを持って来て構えると 流石に驚いたようで逃げるのであるが、暫くするとまた元の枝に戻って来る。 それで写真を撮ることができた。 ![]() そうして30分ほどやつと付き合ったか。 しかし、もうええ加減にせい、とその場を離れると、 そのうち彼の姿も鳴き声も消えたのであった。 そして昼過ぎにもやって来てまた暫く鳴いていた。 同じやつである。 ところでこの日、コツコツと小さく響くような音が何度か聞こえて来た。 で、思い当たった。 やつは我が家の何処かに巣を作りたいのだと。 我が家の外壁は板である。 しかも安普請なので節だらけの板である。ところどころ節が抜けて穴になっている。 外壁と内壁の間は小鳥の巣には丁度いい隙間がある。 ところが、出入りするのに節穴は少し小さかったのだろう。 嘴で削って丁度いい大きさにしようとしたのではないか。 私に訴えるように鳴いたのは、 我が家に巣を作らせて欲しいと懇願したのではない。 やつにはプライドがあり、あくまでも私とは対等である。 作ろうとしている巣の位置が見つからないよう牽制したのか、或は必死の威嚇だったのだろう。 とすれば、作ろうとしている巣の位置は窓の近くである。 ふむ、そうに違いない。 なんて思うのであるが、本当のところは分からない。 窓の近くに巣を作り、子育てするようなら応援してやるのになあ。 ![]() #
by gorosuke85
| 2011-07-11 01:41
| 鳥たち
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Comments(2)
![]() リン、リン、リン、リン・・・・ 突然、薄闇の雑木林の向こうでヒグラシが鳴きはじめたのは6日の夕方だった。 一匹だった。 それが3日後の今日の夕方は山を揺らすほどの鳴き声である。 一匹が鳴き始めると、それを合図に皆が後を追いかけるように一斉に鳴き始める。 暫くすると、一斉に鳴き止み、暫し沈黙。 そして、何処かの一匹がまた鳴き始めるとまたそれを追いかけるようにみんなが鳴き始める。 面白いのはタクトを振る一匹が同じではないこと。 要するにリーダーなんていないのだ。 敢えて言うと、皆一匹一匹がリーダーであると言うこと。 ![]() あちらのグループ、こちらのグループでそう言った鳴き方をし、 それらが重なり輪唱となり、その大合唱はもう山を揺らすほどなんである。 文学的にはカナ、カナ、カナ、というが、どう聞いてもそんなに悠長な鳴き方ではない。 腹を波打たせ、全精力を傾けてリン、リン、リン、リンと鳴くのである。 勿論、♂が♀を呼んでいるのである。 果たして私は全存在をかけて女性を求めたことがあるだろうか? うっひゃ〜〜。 その大合唱の不思議なのは、山を揺らすほどであっても決してうるさくないことだ。 かえって静けさが深まっていくようである。 それは清流のせせらぎに似ている。 夏が来たからヒグラシが鳴くのではない。 ヒグラシの声を聞いて、忽然と夏が来るのである。 ![]() (写真は数年前に撮ったもの) #
by gorosuke85
| 2011-07-09 20:02
| 虫たち
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Comments(6)
![]() 私は落ち込んだり、理由なく鬱のような状態になることが多いが、そんな時は散歩をすることにしている。 奥能登の山里に暮らしているから散歩道は村への道であったり、雑木山の中の小道であったりする。 道を歩いていると、いろんなものたちと出会う。 例えば道ばたの小さな花、普段気にも留めないありふれた名前も知らない花だが こちらの精神が弱くなっている時、それらはとても不思議で美しいものとして目に飛び込んで来たりする。 そればかりかそのことが契機となり見慣れた風景も全く違った風景に見えたりもするのである。 名もない小さな花をよく見ると、かれらは人に見られることなどつゆにも思っていなくて、ただ持てる渾身の力で空に向かって自らを咲かせている。 その姿をまじまじと見つめていると、落ち込んでこわばっている我が精神がほろほろとほぐされていくような、緩やかな安堵を感じるのである。 その時、私とこの小さな花は確かに会話をしたのだと思う。 人間の言葉を持ってではない。存在の響き合いというコミュニケーションである。 さらに考えてみる。 この大宇宙にあって、この小さな花が目の前で生きて咲いている。宇宙にどのくらいの物質があるか知らないが、その物質が150億年の宇宙の歴史の中で転変を遂げ、今こうして地球上の生物となって、ここという場所に存在し、美しい花を咲かせている。しかも、この瞬間は一度だけなのだ。 そう思うと、この花が今ここに花を咲かせているということ自体、宇宙的大事件なのであって、奇跡なのだと感得できるのだ。そしてこの名もない草花がとても親しく愛おしいものに感じられるのである。 そしてこのことは、それだけでは終わらない。 この草花の存在の不思議さと美しさに感動するということは 実は、同時に、草花に立ち会っているこちら、つまり私自身も地球上、今、人間としてここに、こうして確かに存在しているのだということ、そしてそのことは草花と同じく宇宙の大事件であり奇跡なんだということをリアルに感得出来るのである。 つまり、一つの草花に出会うということは同時に自分自身とも出会うということに他ならない。 そうしてそうした草花との出会いは私に確かな力を与えてくれるのであり、お陰でなんとか落ち込みや鬱状況から脱する契機となることが多かった。それらは私にとって最大の励ましであり、新たな力の元となった。 私の仕事はものを作ることである。 今のところ表現方法は木版画と焼き物であり、それがこの25年間の生業であった。 なんとかこの仕事が続けて来られたのも言ってみれば暮らしの周辺で出会う小さなものたちとの出会いのお陰であるし、勢い、それらが作品のテーマの中心となって来た。 特別なものや特別な風景をテーマにしようと思ったことはない。 想いが向くのはいつも普通の見慣れたありきたりのものたち。 アリンコだっていいし、その辺りに生えている草花でもいい。 しかし、私が作る限り、そのアリンコ一匹、草花一本が実は宇宙の中心なのだというくらいにドラマチックに作りたいし、それが面白いと思っている。 なんだか長くなっちまった。 ここまで読んでくれた人、ありがとうです。 もうちょっと。 ともあれ、私の身の回りの個性的で美しいものたち、それらをよく見、感じ、知ることは仕事だと思っている。 作ることを仕事にしている限り、虫や花たち、空や星たちと話ができないとイケナイと思っている。 しかし、元来怠け者である私はそのことをつい忘れてしまうし、いろんなものたちとの出会いも感動もすぐに忘れてしまう。 ブログを作ろうと思ったのは 怠け者の自分を叱咤激励する意味と、いろんなものたちの存在の不思議さと美しさを皆と共有し、そのことでお互いの人生をより愉快で意義深いものにしたいと願うからです。 もうひとつ。 3月11日の原発事故で世界は変わりました。 我々人類の愚かさに失望もしました。 しかし、失望ばかりもしておれません。 私はまだ生きていますし、生きているものたちは沢山います。 なにはともあれ それぞれが今、生きて在ること、そのことが希望なんだと思います。 「生きて在ること」を改めて見つめ直そうと思います。 ここから新たな希望というものが作っていけたら、 と願うのです。 言ってみれば、このブログは私なりの原発反対運動なのです。 最後に私の若者たちへ伝えたいメッセージ。 『おまえという生命体がこの地球に存在すること。 人間として、ひとつの個性として生きているということ。 それは宇宙の大事件であり、奇跡なのだ。』 ○プロフィール 本名 江崎 満 ネックネーム ゴロスケ 1952年広島県江田島生まれ。 小学校から高校卒業まで山口県宇部市にて育つ。 その後、京都、横浜暮らしを経て 34才の時、石川県奥能登の山中に移住。 仕事は作ること。(木版画、焼き物) 釣り師でもあります。 まあ、勝手放題、我が儘に生きてきました。 モットーは「嫌なことはしない。」「頑張らない。」 です。 拙著 木版画カルタ絵本『よろみ村いろはにほへと』架空社 画文集『星吐く羅漢』港の人社 絵本『たったひとつの』あすなろ書房 #
by gorosuke85
| 2011-07-09 19:00
| はじめに
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Comments(2)
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