激しく雨の降る朝、カンちゃんは逝った。10年の生涯だった。
まるで走っているような姿だった。
彼は走るのが得意だった。
死の間際、与呂見の大地を蹴って疾走していたのかもしれない。
夏になって食が細くなっていたが、四日前から全く食べなくなり、
二日前はぐったりとして目の力が弱くなった。
前日の朝、ウンチをしていたらカンちゃんがやって来たので抱き上げると、
顔を擦り寄せてきて彼の体温が気持ちよかった。
その夜、寝る前11時半、彼を触るとまだ温かかったが、
明くる朝、彼は冷たくなっていた。
普段と変わらない、そのまま起き出してきそうな、静かな死だった。
蝋燭の灯りが徐々に細くなりやがては消えてしまう。
そんな見事な死に様だった。
カンちゃんを摩り、「ありがとう。俺たちも遠からず行くから待っとけよ」と声を掛けた。
生も死も向こうからやってくる。
生はやって来た「いのち」が私を生きるのであり、
死は「いのち」が私を去るのである。
大いなるいのちの流れである。
そこからやって来て、そこへ還るのだ。
生きても死んでも大いなるいのちに変わりない。
「生死一如」「生死はいのちの相である」という
仏教の教えを改めてカンちゃんに教わったように思う。
小生も死が向こうからやってくるまで、
このいのちを精一杯輝かせようと思う。
カンちゃんを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。

五日前、滞在中の井原伸ちゃんに甘えるカンちゃん。この時はまだ元気だったが。

このところ食が細くなってきていたが、四日前から食べなくなり、二日前はぐったりとして目の光が弱くなった。

ぐったりとしたカンちゃんを撫で、声を掛ける連れ合い。

前日の朝、ウンチをしているとやって来たので抱き上げると盛んに顔を擦り寄せてくる。彼の温かさが気持ちよかった。

翌朝、海ちゃん桜の下に埋葬する。海ちゃんをはじめ、犬のソクラテス、猫の太郎、次郎たち、亀のアルキメデス、みんなと一緒の場所だ。みんなのいのちとひとつになるのだ。

連れ合いはたどたどしくも般若心経を唱えた。