
1月5日早朝、ばあちゃん(母)眠るように穏やかに逝きました。
山口から能登の私のところへ来て20年、一度も病院に行くことなく元気でしたが
昨年12月の始め頃から食事が喉を通らなくなり、徐々に命がしぼんで行くようでした。
最後まで延命治療はせず、小さくなった命の灯火がそのまま自然に消えて行きました。
98歳の誕生日を前にしての旅立ちでした。
孫たちも遠路駆けつけ賑やかな通夜になりました。

葬式は村の寺、龍昌寺の和尚和樹さんの朗々とした読経が響き、村の仲間たちにもお経を詠んでもらい、実にシンプルな手作りの心の通ったものになりました。

斎場にはハイエースで運び、骨はばあちゃんカエルが好きだったのでカエルの骨壺に収まりました。


葬式の日はパキンと晴れて、真っ白な雪の中、清冽な空気がみなぎりました。
ばあちゃんの死に立ち会うことは自分の生に立ち会うことです。
しっかり生きようと思いました。
また、ばあちゃんが逝く2日前、彼女は蘇るようなしっかりとした顔で孫の麦、そして麦の子(曾孫)の手を握りました。
まさに命は受け継がれてゆくのです。


私は人が死んでゆくことは決して悲しいことではないと思っています。
存在がゼロになるのではなく、むしろ無限になることだと思うのです。
それは大いなる命の根源に還ることだし、そう、世界に満ち満ちてゆくのです。
だからこそ、葬式はお祝いのようでありたいと思っていますし、そのような葬式が出来たと思います。
これまで、多くの友人たちがばあちゃんに話しかけてくれたり、優しく接してくれました。
みんな、ありがとうでした!!
これからもよろしく。