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息子のところでの2ヶ月半の避難生活を終え、 奥能登与呂見の我が家に帰ってきた。 すると予想より早く応急の道路工事が始まり、 数日で村へ上がる道が開通。 水が出るようになり、車も上がって来れるようになって、 暮らしの再開がスムーズになった。 猫たちも元気だし、 亀のシリウスもどうやら無事に冬眠から覚めたようである。 まだ家など、いろいろ修復しなくてはならないが、 雪はほぼ解けたし、周囲は春の気配に満ちている。 帰ってから片付けの日々だが、仕事もそろそろ始めよう。 5月中旬、大阪ブリコラージュ展に向けての仕事だ。 #
by gorosuke85
| 2024-03-26 10:28
| 暮し
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水が出た。 当たり前のようですが、我々にとっては感動的な大事件です。 我々が避難生活をしている間、 寺の住職、遼雲さんと弟の弾たち若者が貯水タンクの応急修理をコツコツとやってくれていた。 よろみ村は山の湧水を引いて作った水道だが、 今回の地震で貯水タンクの底が抜け壊れてしまった。 復旧には新たな貯水タンクを設置し、水道を作り直さねばならないが、 それにはまず村に上がる陥没断裂した道路の復旧が不可欠だ。 車やトラックが村に入れなければ工事が進まないからだ。 しかし、道路の復旧の見通しは立たず、 とりあえず、壊れたタンクを応急修理し、 水道管を繋いでなんとか水を確保しようと彼らが頑張ってくれていたのだ。 そのお陰で、我が家にも2ヶ月半ぶりに水が来たのだった。 水が回復したことで我々は避難生活を終えます。 家屋の修復もこれからですが、水があればなんとか暮らすことはできます。 暮らしながら、仕事もしながら、ゆっくりじっくりと修復してゆきます。 まだ雪はありますが春です。 春のいのちたちの蠢動に乗っかって、また皆さんの応援や支援の熱い心に支えられ、 我々もここから新たに始まります。 ともあれ、我々は元気です。 #
by gorosuke85
| 2024-03-14 09:19
| 暮し
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与呂見村から金沢近郊津幡に暮らす息子(麦)のところに避難して、はや一ヶ月半が過ぎました。 麦も町で暮らすことを嫌い、津幡の森林公園に接した山間部の古い農家を借りて暮らしているので、環境も景色も与呂見村とそう変わらず、違和感なくのんびりと過ごすことができ、お陰で我々は元気です。 とは言っても、孫たち(男子二人)の肉弾突撃攻撃に連日晒され、それには真っ向から応戦しているので、少々筋肉痛ですが、まあ筋トレにはなっているようです こんなことでもなければ、息子のところに滞在したり、孫たちとこんなにじっくり付き合うこともなかったろうと思います。 このところ、留守を守ってくれている遼雲さん、弟の弾さんが壊れた貯水タンクの応急修理をやってくれています。 新しいタンクでの本格的な水道工事は陥没断裂した村への登り道が復旧しないことには前に進みません。一応、道路の復旧工事を市に要請しましたが、なんせ市街地の道路の復旧が先でしょうから、いつのことになるか分かりません。本格的な水道の復旧には長い時間がかかりそうです。 なので、それまでの間、壊れたタンクの応急修理でなんとか水を確保しようと頑張ってくれているのです。 我々はともあれ、水が確保できるようになれば帰ろうと思っています。家は基礎石とつか柱がズレて、床が少し斜めになっているところがあったり、縁側はサッシが壊れ防風のためブルーシートで覆ってあったり、デッキが倒壊したり、屋根瓦も壊れていたりですが、水道が確保できればなんとか暮らすことはできると思っています。 仕事もしたいところです。5月の連休明けには大阪ブリコラージュで展覧会もあります。その準備にもかからねばです。 仕事もしながら、暮らしていく中でぼちぼち家の修理や復旧にかかればいいと思っています。どのみち、長い道のりです。 皆さんからの与呂見村支援金は思いの外多く集まっているようです。ありがとうございます。真に助かります。これから水道の復旧を始め、寺の修復、各家々の修復、倉庫や作業小屋の修復、作業道具の修理回復など、村の復旧に大切に使わせてもらいます。 皆々様には改めて御礼申し上げます。 #
by gorosuke85
| 2024-02-23 09:43
| 暮し
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皆さんにはご心配をかけたことと思います。いまだ停電が続き、ネット環境も繋がらず無事の報告もできませんでした。私は携帯を持っていませんが、今、近くの村まで出かければ私のパソコンも若者たちの携帯の電波を借りてネットにも繋げられるようになったので、今日は40センチの雪を踏んで近くの村まで歩いてきました。そして今、このFBで与呂見の村人たちがみんな元気であること、また、与呂見の震災の状況などを伝えようと思います。 それは元旦の午後4時半を過ぎた頃だった。 お寺の五右衛門風呂に浸かり、いい気分で新年を迎え、風呂から出た瞬間、突然の衝撃、激しい揺れが襲ってきた。慌ててパンツを履き、衣類を纏って外に飛び出した。 暫くすると村人たちも倒壊の恐れのある家から逃れ、寺の庭に集まってきた。連合いも地震の直後咄嗟に家から飛び出し、小楢の木にしがみついていたところ、寺の若者たちが助けに来てくれたらしい。 しかし、何はともあれ、村人たちはみんな無事で怪我人もいなかった。その後も余震は続き、家屋に入ることもできず、寺の庭で火を焚き、大鍋でごはんを炊き、持ち寄った食料を火で炙ってみんなして晩飯を食べた。この村のいいところは風呂も暖房も薪を使うので薪が沢山あることだ。そしてその日は村人全員車の中で寝ることとなった。 翌る日、明るくなって家の状態を調べると家財はごちゃごちゃにひっくり返り足の踏み場もなく、外回りは家の土台が基礎からズレて床が下がったり、落ちたり、瓦は全体がずれてあちこち剥がれ落ちていたり。加えて我が家のデッキは倒壊しぺっちゃんこ。どの家も倒壊は免れたものの、ダメージは大きく地震が収まってもその後、住み続けることができるかどうか、甚だ怪しい状態だ。 お寺(龍昌寺)も本堂などあちらこちら壁が剥がれ落ちたり、損傷はひどいものの、流石に構造はしっかりしていて、村人たちは二日目以降、寺の厨での合宿生活となった。飲み水は山の下の貯水タンクから若者たちが歩いて運び上げ、風呂の水は寺の側を流れる小川の雪解け水をバケツリレーで運んで薪で焚き、順番に入った。食事はみんなで持ち寄った食料や援助で届いた食料を料理して厨の薪ストーブを囲んでの食事だ。食器を洗うのも雪解け水。明かりは蝋燭や電池式のランプを使い、寝る場所は本堂や宿坊、厨をシェアした。 そんな生活が始まってあっという間に一週間が過ぎた。いまだに電気も水も止まったままで、復旧の見通しさえ立っていないが、金沢近郊に暮らす村人たちの子供たちが幹線道路の至る所での亀裂や断裂などで普段一時間の道を通行止めや迂回、凄まじい渋滞にもめげず6〜7時間もかけて物資を運んで来てくれ、道路の復旧作業や傷んだ屋根の応急処置、電気がなくても通じる電話を寺に繋いでくれたり、車庫の倒壊で潰れかけたハイエースを救い出してくれたり、その他、暮らしのための作業を手伝ってくれた。彼らは大工や電気工事士、設計士、測量士、介護士、料理のプロたちであり、よく考え、よく動く実に頼れる面々なのである。寺の住職をはじめ、みんなこの村で山猿のように育った子達である。今、逞しく育った彼らの活躍を見て一人前に育ったなあと嬉しく思うのであったが、村の復旧作業はこれからなんである。 復旧の肝は何はともあれ水である。与呂見村の水は所謂の水道ではなく、37年前、横浜から奥能登、龍昌寺の山林に移住し、寺を中心とした小さな村ができた時、みんなで山の伏流水を引いて作った我らの山の水道です。時折、凍ったり、ポンプが故障したりして止まったりもしますが37年間、この村の水を供給してくれ生活を支えてくれた水道です。一般の水道とは一味違う、美味い水であり村自慢の水なのです。 しかし、今回の地震でこの水道が無惨にも破壊してしまいました。村の一番高い山の上に設置した貯水タンクの底が壊れ抜けてしまったのです。 なので最初から水道のシステムを作り直さなけばなりません。おおよそ5トンの貯水タンクも購入しなければならず、その工事費用を考えると頭が痛いのですが、とにかくこれだけは最初に復旧させなくてはなりません。 勿論、お寺の修復も村人たちの家の補修もしなくてはなりません。特に我が龍昌寺は檀家さんのいないすべての人々に開かれたお寺です。若き二代目住職、遼雲さんは自ら田んぼや畑を作りながら、この寺をこれからの時代に希望の持てる暮らしのスタイルをみんなで考える学びの場 にしたいと願っています。この寺は是が非とも修復し、存続させたいし、存続させなければと思っています。 ともあれ、村の復興には相当の資金が必要です。話し合いの結果、与呂見村の復興支援義援金を龍昌寺の口座で一括して受けることにしました。少しでもご支援いただければ助かります。 皆様よろしくお願い申し上げます。 [龍昌寺振り込み口座] 銀行名 ゆうちょ銀行 記号番号 00740-9-0002706 金融機関コード 9900 店番 079 預金種目 当座 店名 079店(ゼロナナキュウ店) 口座番号 0002706 郵便番号929-2361 石川県輪島市三井町与呂見根-72 龍昌寺 #
by gorosuke85
| 2024-01-09 16:19
| 自然
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2024年、1月1日の清々しい朝です。 窓からは真っ白な雪景色、細かい雪が降り注いでいます。 今日の1日も朝のラジオ体操から始まりました。 60兆の細胞たちも元気に躍動してくれているようです。 今、ここに私が生きている。 当たり前のようですが、奇跡のような宇宙的大事件のようにも思えます。 「今、真に私が生きている。」いつもここから新しい私が始まります。 昨日までとは違う新しい、まっさらな私です。 私は辰年生まれで6回目の辰年を迎えます。 いつ迎えが来てもおかしくない年頃です。 それを想うと、これからの人生はプレゼントのように思えます。 新たな今年、どんなものたちと出会うのか、どんな私と出会えるのか、楽しみです。 ともあれ、私という人間を精一杯やりたいし、 人間として生まれて良かったと心底思えるような年にしたいと願っています。 みなさん、旧年中はお世話になりました。 今年もよろしくお願いします。 お互い、元気にやりましょう。 #
by gorosuke85
| 2024-01-01 08:42
| 暮し
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Comments(2)
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